『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』、ドキュメンタリー映画で蘇る「光と闇」
巨星墜つ
・2020年11月25日昼頃、
サッカー界のレジェンド、ディエゴ・アルマンド・マラドーナが、アルゼンチンの自宅で亡くなりました。享年60歳。
・マラドーナは今月2日、
貧血や脱水症状を訴えて入院、硬膜下血腫と診断され、3日に手術を受け11日に退院。
自宅療養をしていました。
その矢先に自宅でお亡くなりに。報道によると、心臓発作ということです。
60歳でマラドーナが亡くなるとは・・・。
ご冥福をお祈りするとともに、
以前に書いたマラドーナの記事をそのまま載せておきます。
ここからは『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』というドキュメンタリー映画についての記事です。
2020年3月12日に投稿した記事になります(少し加筆)
まさかこのブログで、この人の記事を書く事になろうとは・・・。
なんとなく見ていたYahoo!ニュースの記事で飛び込んで来た名前、
『ディエゴ・マラドーナ』
そして、ドキュメンタリー映画が6月5日から日本で公開されるという記事。
私は元、強烈なサッカーファンだったので(その頃はACミランのファン:ミラニスタでした)、
古いサッカー選手の記事だったり、昔のチームの事なら書けるんですけど、
やり始めたこのブログのカテゴリーに「サッカー」はありませんから、
書く事は無いと思っておりました。
が、
ドキュメンタリー映画という事なら書ける!
『ディエゴ・マラドーナ』を記事にしても大丈夫だ!という安易な発想から、
記事にさせて頂きます。
2020年6月5日から、
東京・新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかで公開予定となっていた、
ドキュメンタリー映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』は、
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う各行政機関の発表や方針、来場客への配慮から、
2020年7月10日まで公開を延期することが発表されました。
購入済みの前売り券は、延期後にも使用出来るとの事です。
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ドキュメンタリー映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』
『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』
Diego Maradona(2019):Official Trailer | HBO
監督 | アシフ・カパディア |
製作総指揮 | アシフ・カパディア |
製作 | ジェームズ・ゲイ=リース、ポール・マーティン |
編集 | クリス・キング |
音楽 | アントニオ・ピント |
出演 | ディエゴ・マラドーナ、他 |
日本公開 | 2020年7月10日以降へ延期 |
ドキュメンタリー映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』は、
マラドーナ本人の完全協力を得て、500時間にも及ぶ未公開映像をもとに製作されています。
物語の中心となっているのは、
1984年、イタリア・ナポリへの移籍から、1986年メキシコW杯、
この辺りをメインとして描かれているようです。
メキシコの地で”神の手”と”5人抜き”を見せつけて、文字通り「サッカーの神様」と崇められたマラドーナ。
今度はセリエAの弱小ナポリをスクデット(リーグ優勝)へ導き、「ナポリの絶対的な王」となりましたが、
プライベートでは波乱万丈な人生を・・・。
マフィアとの交際、愛人スキャンダル、コカイン逮捕など、
サッカー以外の話題にも事欠かない「神様」でもありました。
そのマラドーナの表の顔と裏の顔をドキュメンタリー映画にしたのが、
『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』
2020年6月5日から新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷他にて、
全国ロードショーされる予定となっています。
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ(1960年10月30日〜)、
サッカー界のレジェンドとして後世に語り継がれる人物、今年60歳です。
貧しい家庭に生まれたマラドーナは、
幼少時代、ボールを買え与えてもらえず、布を巻いたモノをボールに見立てて、
サッカーに明け暮れていたようです。
決して完全な球体とは言えない不完全なボールでリフティング、サッカーに魅入られていき、
天性の才能もあったのでしょうが、その環境の悪さも、彼の類い稀な技術を研ぎ澄ます役を買ったのではないか、
今ならそんな風に思ってしまいますね。
そして1976年10月20日、
15歳と11ヶ月という若さで、
アルヘンティノス・ジュニアーズ(アルゼンチン)でプロデビュー。
日本で言えば、高校1年生がJリーグデビューするようなものですね。
まさに「神童」、「神の子」の誕生となりました。
アルヘンティノス・ジュニアーズに在籍中に、
1978年アルゼンチンW杯が開幕、最終候補の25人には残りながらも落選。
マラドーナ自身は、
「人生に永遠に残る、決定的な、一番大きな失望だった」と語っています。
この当時の代表監督がルイス・メノッティで、
アルゼンチン国民からの「マラドーナを代表に!」という大多数の声を、自身の理念に基づいて黙殺し、
非難されましたけど、自国開催のW杯でアルゼンチンに初優勝をもたらし、
結果で知らしめたという強者の監督です。
確か、
マラドーナはメノッティの事を嫌っていたはずですが、
今はどうなんでしょうね、落ち着きましたでしょうか?
こんな感じで、
プロデビューからの数年でマラドーナは紆余曲折を体験、
10代の少年が傷つきながらもその後、サッカー界のレジェンドになる階段を登って行く事になります。
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クラブチームでの『ディエゴ・マラドーナ』
アルヘンティノス・ジュニアーズでのプロデビューは1976年ですが、
トップチーム昇格はその2年前、1974年、13歳です。日本で言えば中学1年生・・・。
40年以上前の時代とはいえ、恐ろしい事実ですよね。
マラドーナのクラブチーム歴は、
在籍シーズン | クラブチーム | 出場(得点) |
1974〜82 | アルヘンティノス・ジュニアーズ | 166(116) |
1981〜82 | ボカ・ジュニアーズ | 40(28) |
1982〜84 | バルセロナ(スペイン) | 36(22) |
1984〜91 | ナポリ(イタリア) | 188(81) |
1991〜92 | 15ヶ月間出場停止 | ※1 |
1992〜93 | セビリア(スペイン) | 26(5) |
1993〜94 | ニューウェルズ・オールドボーイズ | 5(0) |
1994〜95 | 15ヶ月間出場停止 | ※2 |
1995〜97 | ボカ・ジュニアーズ | 30(7) |
クラブチームの()無しはアルゼンチンのクラブチームです。
※1
1990年から91年にかけて、麻薬使用、マフィアとの関連が報道されてマスコミから集中砲火を浴び、
イタリアサッカー連盟から15ヶ月間の出場停止処分を受けました。
マラドーナのナポリ時代は終わりを迎えましたが、
未だにナポリ市民からは絶大な人気を誇っています。
顔全体を不思議な理由で整形したとしても、永遠に「ナポリの王様」ですね。
※2
こちらはご存知の方も多いのではないでしょうか。
あの94年アメリカW杯でのドーピング違反により、FIFAから15ヶ月間の出場停止処分を受けました。
グループステージDのアルゼンチンの初戦:ギリシャ戦で見せたゴールからのパフォーマンスは、
未だに目に焼き付いております。
ドーピング違反が発覚して、メディアで流され続けていたあのパフォーマンス、
悪意しかありませんでしたね。
マラドーナが在籍したクラブチームで、
完全なビッククラブはスペインのバルセロナぐらいで(ボカもアルゼンチン、南米ではビッククラブ)、
クラブレベルの経歴としてはそこまで凄くはないんです。
ただ、
イタリアのナポリ時代、マラドーナが「神格化」されるのも納得な活躍をしているのは事実。
まず、
イタリア・セリエAで外国人選手との契約が解禁されたのが1980年。意外と歴史は浅いんです。
1980〜81シーズン、
ブラジルのインテルナシオナルからローマにやってきたロベルト・ファルカン(ブラジル)。
ローマに41年ぶりのスクデットをもたらした”ローマ帝国第8代皇帝”と評される名選手。
ファルカンに続いてイタリアにやってきたスーパースター、
1982年からユベントスの王様として君臨した”フランスの将軍”ミシェル・プラティニ。
トヨタカップでのプラティニを覚えているファンも多いでしょうね。私もです。
そして、ファルカン、プラティニに続いてイタリアの地を踏んだディエゴ・マラドーナ。
有名なミラン、ユベントスはイタリアでいうと北部に位置していて、ローマがやや中部あたり、
ナポリは南部です。
イタリアサッカーの中心が北部と言える現状を覆す活躍をしたのがマラドーナ、
弱小チームのナポリを初のスクデットに導く大活躍です。
イタリア・ナポリでの活躍
ナポリでのマラドーナの活躍 | |
スクデット2回 | 1986〜87シーズン、1989〜90シーズン |
コッパ・イタリア1回 | 1986〜87シーズン(スクデットと2冠) |
UEFA杯優勝 | 1988〜89シーズン |
リーグ得点王(15得点) | 1987〜88シーズン |
チャンピオンズリーグの優勝こそありませんけど、
ナポリというチームでこの活躍はもの凄い事ですよね。
ジョルダーノ(イタリア)、カレッカ(ブラジル)ら実力者とマラドーナの3人、
マジカ(Ma・Gi・Ca、魔法)と呼ばれ、ナポリの黄金時代と言える活躍をしています。
マラドーナ無しでは成し得なかった偉業です。
(若かりし頃のジャンフランコ・ゾラも89〜93シーズンにナポリに在籍、マラドーナとプレイしています。)
特に素晴らしいのが、
1989〜90シーズンでのスクデット獲得。
ベルルスコーニが築き上げた帝国、アリゴ・サッキの強烈なチーム:ACミランを抑えてのリーグ優勝です。
「オランダ・トライアングル」と言われるファンバステン、フリット、ライカールトを擁して、
その他をほぼイタリア代表で固めているスーパーチームに競り勝ってのスクデットですからね。
ちなみに、
1989〜90シーズンのリーグ3位はインターミラノ(インテル)。
クリンスマン、マテウス、ブレーメの「ドイツ・トリオ」を擁する、こちらもスーパーチームです。
監督はトラパットーニ。
極端に言ってしまえば、
マラドーナ1人で「オランダ・トライアングル」と「ドイツ・トリオ」に勝ったシーズン。
恐ろしいのはですね、
こう言っても納得してしまえる存在がマラドーナという人物なんです。
1人で勝ち取ったように見えてしまうんです。
意味の分からない歌手デビューをしようと、マラドーナは永遠。
ナポリでの背番号「10」は、永久欠番となっています。
マラドーナはヨーロッパ最優秀選手賞(バロンドール)を受賞しておりません。
フランスのサッカー専門誌「フランス・フットボール」が1956年に創設した賞で、
1995年までは、ヨーロッパでプレーするヨーロッパ人にしか受賞資格が無かったために、
マラドーナは受賞資格外となっていました。
受賞資格さえあればナポリ時代に獲っていた可能性大でしょうね。
ちなみに、
ヨーロッパ人以外で初の受賞者は、
1995年の「ジョージ・ウェア(リベリア)」です。
パリ・サンジェルマン、ACミランの活躍によっての受賞。
2010年に「FIFA最優秀選手賞」と統合されて「FIFAバロンドール」となり、
2016年をもって提携を解消。今はまた「バロンドール」となっています。
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W杯での『ディエゴ・マラドーナ』
こっちの方が有名かもしれません。やってる事が極端ですからね。
ディエゴ・マラドーナが出場したW杯は4大会。
マラドーナのW杯(アルゼンチン代表) | ||
1982年 | スペインW杯 | 2次リーグ敗退:5試合出場2得点 |
1986年 | メキシコW杯 | 優勝:7試合出場5得点 |
1990年 | イタリアW杯 | 準優勝:7試合出場 |
1994年 | アメリカW杯 | ベスト16:3試合出場1得点 |
どの大会も、マラドーナにとって有名なシーンのオンパレードです。
「1982年スペインW杯」
前回大会1978年アルゼンチンW杯での優勝メンバーに、マラドーナ、ラモン・ディアスらを加えたチームは、今大会も注目される存在でした。
当時21歳だったマラドーナは10番を背負い注目の的。
が、2次リーグのブラジル戦、
「黄金のカルテット」と呼ばれたジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾを擁するブラジルに、
1−3の敗北を喫して大会を去る事に。
ブラジルのバチスタに蹴りを食らわせて退場したマラドーナ、
報復行為をしてしまうほどに若かった・・・、スペインの地は肌に合わないんでしょうね。
メキシコの地で神となる
「1986年メキシコW杯」
この大会は説明不要なほど有名な大会です。
まさに『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』を見せたと言っても過言ではない試合。
準々決勝のイングランド戦。
後半4分に見せた「世紀の大ジャンプ」”神の手”ゴールを決めたその4分後、
今度は「世紀のドリブルゴール」を見せつけます。
ハーフウェー・ライン手前でボールを受けたマラドーナは、
ベアーズリーとリードに囲まれながらも巧みなステップで2人をかわし、
一気に加速したそのスピードを殺さずにブッチャーを抜き去り、
フェンウィックを絶妙なタイミングで置き去りにして、
GKシルトンをもかわして、追走して来たブッチャーを振り切りながら左足を一閃。
「W杯史上最高のゴール」が生まれた瞬間です。
審判がゴールとみなしたプレーなので、今更何を言っても覆す事はありませんけど、
”神の手”は単純に「反則」ですし、
”5人抜き”は世界が認める「最高のゴール」。
こんな両極端なゴールを1つの試合で見せつけるマラドーナという存在。
「反則」ゴールでイングランドを怒り狂わせて、ぐうの音も出ない「最高のゴール」で沈黙させる。
当時、フォークランド紛争だなんだと色々言われていましたが、ただただ、
マラドーナの凄さと、イングランドが不憫で可哀想な印象が・・・1ー1のはずですからね。
・2020年11月25日にマラドーナの訃報を受け、
この時のイングランドのゴールキーパー:ピーター・シルトンはこんなコメントを残しています。
「私が気に入らなかったのは、彼が一度も謝らなかったことだ。」
「どのタイミングでも、ズルをしたとは一度も言わなかったし、謝りたいとも言わなかった。」
「代わりに彼は『神の手』というセリフを使った。あれは良くなかった。」
「偉大さは持っていたようだが、残念ながらスポーツマンシップはなかった。」
「私の人生はディエゴ・マラドーナのそれと長く絡みあっているが、自分が望む形ではない。」
「だが、こんなにも若く亡くなったと聞いて悲しんでいる。彼は対戦した中で間違いなく最高の選手だった。彼の家族にお悔やみ申し上げる。」
と、シルトンは声明を出しましたけど、まだこんなコメントを言ってしまうぐらい、
シルトンにとって「神の手」は忘れられない負の遺産なんでしょうね。
でも、もう諦めてください。歴史は覆しません。
あれはハンドでしたが、ぶっちゃけて言ってしまうと、
あのロビングにマラドーナよりも早く手が届かなかったあなたの負け。キーパーのくせに。
キーパー能力も負けていた可能性がありますね。
もういいじゃないですか、マラドーナのおかげで未来永劫、サッカーの歴史に名前を刻んだんですから。
「神の手」と戦った唯一のゴールキーパーですよ。
その後、
準決勝のベルギー戦でも大活躍、2得点を叩き出しています。
2点目のドリブルゴールも素晴らしいの一言でしたね。
ちなみに、この時のベルギー代表には若き日のビンチェンツォ・シーフォが出場しています。
シーフォを上位互換したのが今のアザールだと思って頂ければ、多少、分かり易いかと。
シーフォも素晴らしいゲームメイカーでしたよ。
そして決勝の西ドイツ戦。
ブルチャガに通したあのスルーパス、決勝点をアシストしたマラドーナの頭上に、
W杯が。
アルゼンチンを2度目のW杯優勝に導き、大会最優秀選手賞を獲得、
「マラドーナのための大会」として1986年メキシコW杯は歴史に刻まれています。
1986年世界年間最優秀選手賞(ワールドサッカー詩)にも輝いております。
90年イタリアW杯、94年アメリカW杯
「1990年イタリアW杯」
イタリア・ナポリで「神」となっていたマラドーナ、
準決勝の開催国イタリア戦、結果は1ー1のPK戦の末にアルゼンチンが勝利。
PK最後のキッカーがマラドーナだった事、イタリア国民の中でナポリファンだけが複雑な心境だったでしょうし、
ナポリファン以外のイタリア人にとって、マラドーナはただの「敵」ですから、
イタリア中が揺れた1日となったでしょうね。
その後、アルゼンチンは決勝の西ドイツ戦で敗れて、
1958年スウェーデンW杯、1962年チリW杯で連覇したブラジルに続くことはできずに、
準優勝で大会を終えています。
この大会をマラドーナの敗戦として記憶されている方も多いでしょうけど、
他のチームにも日本で有名な素晴らしい選手がたくさんいました。
開催国イタリアには、大会得点王となったスキラッチ、
若き日のロベルト・バッジョ(準決勝はジャンニーニと交代で出場しています)。
イングランドには「太っちょクライフ」ことガスコインとリネカー。
「オランダ・トライアングル」の3人、ユーゴのストイコビッチ、
西ドイツのクリンスマン、マテウス、リトバルスキー、ブッフバルトなど、
Jリーグに参戦した選手が数多く出場していた大会です。
(スキラッチ、リネカー、ストイコビッチ、リティ、ブッフバルトはJリーグでプレーしています)
ブラジルの2トップ、カレッカとミューレルも日本でプレーしていましたね。
「1994年アメリカW杯」
マラドーナの4大会目であり、最後のW杯となったのがこのアメリカ大会です。
大会の去り方がまた最悪で、ドーピング違反が大会期間中に発覚して、そのままサヨナラとなりました。
いいチームだったんですけどね。
2トップにバティストゥータとカニーヒア、トップ下がマラドーナ、
その後ろにレドンドがいて、出だし快調なスタートを切ったチームでした。
それがマラドーナのドーピング違反、離脱によって・・・。
(マラドーナの代わりに出場してきたオルテガも面白い選手でした)
このアメリカ大会、印象深いのは、
まずはイタリアの復活劇です。もうダメかと思ったその矢先、急にロベルト・バッジョが覚醒。
ブルガリアの躍進(ストイチコフ、レチコフ、バラコフなどでベスト4)。
スウェーデンの躍進(ブロリン、ダーリンなどでベスト4)。
ルーマニアのハジ(プレースタイルはマラドーナとそっくり)。
コロンビアの敗退(バルデラマ、アスプリージャ、リンコン、エスコバルの悲しい事件)。
オランダ(ベルカンプという発見)。
ブラジルの2トップ、ロマーリオとベベットの魅力溢れるデュオは観ていて最高に面白かったです。
そして、
マラドーナがW杯を去った・・・。
(ブラジルのレオナルドが犯した肘打ちも酷かったですね)
ブラジルがイタリアとの決勝をPK戦の末に勝利し、通算4回目のW杯制覇。
マラドーナの印象が悪くなった大会でもあります。その後、さらに・・・ですけど。
1994年、この年は個人的にもの凄く印象深くて、
日本でW杯前に開催されたキリンカップに、アルゼンチン代表が来日する予定となっていたんですけど、
日本はマラドーナの入国を拒否して(逮捕歴などにより)、アルゼンチン代表自体も日本行きを拒否。
代わりにオーストラリア代表が急遽出場することとなって、
日本代表、フランス代表、オーストラリア代表がキリンカップを戦いました。
まぁ、今となってはフランス代表を観られたので良しですかね。
カントナ、パパン、ジノラ、デシャン、デサイー、若き日のジョルカエフ、彼らのプレーは日本代表を子供扱いしておりました。
「ドーハの悲劇」でW杯出場を土壇場で逃した日本、
ブルガリアに土壇場で足元をすくわれてW杯出場を逃したフランス、
この強烈なフランスがW杯に出られない・・・。
私が「ドーハの悲劇」をなんとも思わなくなったのが、この時のキリンカップでした。
フランスはアメリカでプレーするべきチームだったと、強く印象に残っています。
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マラドーナとペレについて
長々とすいませんでした。
マラドーナのドキュメンタリー映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』を紹介するつもりが、
いつの間にか「マラドーナの記事」となってしまいました。
好きだった事柄を書くのは簡単ですね。
記憶をたどり、もう1度調べて、書きたい事が山ほど出てくるんですけど、
掻い摘んでもこの文字数に・・・。
という事でもう止めようと思います。最後に1つだけ。
「サッカーの神様」という舞台で勢力を分け合っている2人のレジェンド。
アルゼンチンのディエゴ・マラドーナと、
ブラジルのペレ(本名:エドソン・アランテス・ド・ナシメント)。
マラドーナは事あるごとにペレより自分の方が上だと主張、
ペレはペレで自分こそがナンバーワンだと主張、2人は「犬猿の仲」として有名でしたが、
2016年に和解したとなっています。握手した写真もあります。
ただ、個人的に、
ペレは好きになれない。
現役時代のプレーの凄さに疑いの余地はありません。
(今でもYouTubeで観られますよ)
サッカー選手としてのペレではなく、人としてのペレがどうしても受け付けません。
その理由として2つほどあるんですけど、
まず1つは、2000年にFIFAが20世紀の最優秀選手を決める投票を行った際、
インターネットを通じて世界中のサッカーファンからダントツで「神様」認定されたのは、
ディエゴ・マラドーナでした。
これに文句を言ったのがペレとブラジルです。
「インターネットは若者だけしかやっていない」
「私の時代を観ていた人間は投了できていない」
「W杯での優勝3回、出場4回の私以外に、チャンピオンはいない」など、
難癖をつけて、賞を分けさせ、ペレも受賞となった経緯があります。
(サッカー関係者にもう1度投票させて、ペレが1位となった:圧力でもかけたんじゃ?)
ペレの功績は凄いんですが、
1962年チリW杯の優勝にペレが貢献したとは言えません。
予選リーグでガッツリと潰されて、2試合出場1得点のみの成績です。功労者はガリンシャ。
58年、70年は文句ありませんけど。
あともう1つ。
「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(生ダラ)を覚えているでしょうか?
私はリアルタイムでこの番組を観ていまして、
「PK対決」にペレが登場、もの凄く大人気ない対応をしていたんですよ。
「PK対決」にまず勝利したのはノリさん。終わりかと思ったら、ペレの難癖が顔を出します。
「PKでは、蹴る前にキーパーは動いてはいけないんだ!」
(あなたが連れてきたキーパーもガッツリ動いていましたけど)
「だから今の試合は無効だ!」
(ノリさんは大人な対応をして、これを承諾)
次の試合、
あるところで、ノリさんが蹴る前にブラジル式のおまじないをノリさんの足に・・・。
(ほとんど、ノリさんの足を踏みつけるぐらいの勢い)
ペレが「PK対決」に今度は勝利。
「やったー!、私の勝ちだー!!」
(大喜びするペレ、実際は1勝1敗・・・)
うる覚えですけど、概ねこんな感じの「PK対決」となりました。
この時、私のペレ像は完全に決まっていましたね。
「選手時代は凄いかもしれないが、ただの子供、神様ではなく、難癖様」
圧倒的にノリさんが大人に見えた記憶があります。
このような経緯があって、私はペレをどうしても好きにはなれません。
むしろ、嫌い。
個人的な好みの問題なんでしょうが、
私は断然マラドーナ派です。
最後に
2020年6月5日から公開予定となっている、
ドキュメンタリー映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』でも描かれているように、
マラドーナにも「表の顔」と「裏の顔」があるのは事実です。
決して褒められない犯罪を犯したのも事実。
「栄光と挫折」をこれほど分かり易く体験した人も珍しいですよね。
サッカー界の頂点へ登りつめて「神」となって、
私生活の奇行と犯罪で、自身の経歴を自ら傷つけていく・・・。
「それも魅力!」と言ってはいけない人物なのに、どうも、言いたくなってしまう不思議な人です。
太ったのは歳のせいもあるし、致し方ありません。
(もともとズングリ体型の筋肉質ですし)
整形したのも、まぁ・・なんですかね・・おばちゃん化・・・。
(恋人の要望なんて報道もありましたが、美意識は人それぞれ)
今の若い方達に、
今現在のマラドーナを観て欲しいとは一切思いませんけど(楽しめる人もいるでしょうが)、
このドキュメンタリー映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』で描かれている時代のマラドーナは、
是非1度、体験して欲しいと思っています。
左足1本で「光」を全身に浴びて「神」となった男、
私生活の「紆余曲折」で「闇」をまとってしまった男、
ディエゴ・マラドーナの「光と闇」を劇場で。
ではまた。
2020年6月5日から、
東京・新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかで公開予定となっていた、
ドキュメンタリー映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』は、
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う各行政機関の発表や方針、来場客への配慮から、
2020年7月10日まで公開を延期することが発表されました。
購入済みの前売り券は、延期後にも使用出来るとの事です。
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