名作『エレファント・マン』キャスト/あらすじ/感想/実話、触れておいて損の無い白黒映画
「エレファント・マン」と呼ばれた彼は、
27歳という若さでこの世を去りました。
短すぎる、と言えるかも知れませんけど、
彼の目には、
色とりどりの人間たちが映し出されていたんでしょうね。
優しく穏やかな色合いの人々、そして、
悪意を剥き出しにしたドス黒い人間たちも・・・。
『エレファント・マン』
✔︎ デヴィッド・リンチ監督の長編映画2作目(1980年作)
✔︎ 出演:ジョン・ハート、アンソニー・ホプキンス、他
✔︎ 触れておいて損の無い白黒映画(124分)
19世紀のイギリスに実在した青年ジョゼフ・メリックの半生を描いた映画、
『エレファント・マン』。
日本では1981年に公開されました。
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『エレファント・マン』キャスト/あらすじ/感想/実話
『エレファント・マン』
ELEPHANT MAN(1980) | Full Movie Trailer | Classic Movie
【監督】
デヴィッド・リンチ
【脚本】
クリストファー・デヴォア、エリック・バーグレン
デヴィッド・リンチ
【製作】
ジョナサン・サンガー
【製作総指揮】
スチュアート・コーンフェルド、メル・ブルックス
【音楽】
ジョン・モリス
【撮影】
フレディ・フランシス
【編集】
アン・V・コーツ
【第53回アカデミー賞(1981年)】
作品賞、監督賞、主演男優賞(ジョン・ハート)、脚色賞、編集賞、作曲賞、美術賞、衣裳デザイン賞にノミネート(8部門)
【日本公開】
1981年5月23日
1981年の日本での興行収入1位(約24億円)
1981年の日本国内映画興行収入ランキングは、
順位 | 配給(億円) | タイトル(監督、出演) |
1位 | 24.5 | 『エレファント・マン』 (監督:デヴィッド・リンチ、出演:ジョン・ハート) |
2位 | 20.5 | 「007 ユア・アイズ・オンリー」 (監督:ジョン・グレン、出演:ロジャー・ムーア) |
3位 | 19.0 | 「連合艦隊」 (監督:松林宗恵、出演:小林桂樹) |
4位 | 17.5 | 「ドラえもん のび太の宇宙開拓史/怪物くん 怪物ランドへの招待」 (監督:西牧秀夫/福富博、声:大山のぶ代/野沢雅子) |
5位 | 16.5 | 「スーパーマンⅡ 冒険編」 (監督:リチャード・レスター、出演:クリストファー・リーブ) |
6位 | 13.8 | 「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌/土佐の一本釣り」 (監督:山田洋次/前田陽一、出演:渥美清/加藤純平) |
7位 | 13.1 | 「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎/俺とあいつの物語」 (監督:山田洋次/朝間義隆、出演:渥美清/武田鉄矢) |
8位 | 13.0 | 「典子は、今」 (監督:松山善三、出演:辻典子) |
9位 | 12.5 | 「ねらわれた学園」 (監督:大林宣彦、出演:薬師丸ひろ子) |
9位 | 12.5 | 「ブルージーンズメモリー」 (監督:河崎義祐、出演:近藤真彦) |
約40年前のランキング、
白黒映画で人間性むき出しといったキツイ作品の『エレファント・マン』が、
日本国内でトップヒットしました。
映画館で視聴した人たちは、
どんな感情に支配されながら帰路についたんでしょうね?
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キャスト
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【キャスト(役名)】
ジョン・ハート(ジョン・メリック)
アンソニー・ホプキンス(フレデリック・トリーヴス)
ジョン・ギールグッド(カー・ゴム院長)
フレディ・ジョーンズ(バイツ)
アン・バンクロフト(ケンドール夫人)
ハンナ・ゴードン(トリーヴス夫人)
ウェンディ・ヒラー(看護婦長)
レスリー・ダンロップ(看護師ノーラ)
マイケル・エルフィック(夜警のジム)
フィービー・ニコルズ(メリックの母)
あらすじ
『エレファント・マン』あらすじ
19世紀のロンドン。
生まれつき身体に強度の奇形があり、
見世物小屋で「エレファント・マン」として好奇の目に晒されていた青年、
ジョン・メリック。
ジョンの頭蓋骨は肥大し額から突き出、
身体の至る部分に腫瘍があり、唇は歪み、
単純な歩行も困難という悲惨な状態だった。
ある日、
見世物小屋でジョンを見かけた外科医フレデリック・トリーヴスは、
医学的な見地からジョンに興味を覚え、研究対象として、
見世物小屋の主人バイツから引き取り、
病院の隔離部屋でジョンの様子を見ることに。
当初トリーヴスは、
ジョンとの意思の疎通は困難ではないかと思っていたが、
ジョンに知能的な遅れはないと気付き、
芸術を愛する美しい心の持ち主だと、ジョンとの友情を徐々に深めていく。
しかし、
全ての人間が、ジョンに対し同じ人間として接する訳ではない・・・。
悪意のある好奇の目は確かに、そして間違いなく、
世の中の大多数なのかも知れない・・・。
「エレファント・マン」と呼ばれ、
晒し者の人生を送ってきたジョン・メリック。
ジョンが初めて心を開いた数少ない人たちとの交流と、
消えることのない好奇の目から起こる悲劇、
ベッドの中だけは平穏であって欲しいと願わずにはいられない・・・。
〜『エレファント・マン』〜
おじさんの感想
(観ておいて損は無い、けど、結構キツイ・・・)
大まかな内容を覚えていただけで、
ほぼ記憶が薄くなっていた『エレファント・マン』、
U-NEXTで見放題配信されていましたから、もう1回しっかりと視聴しました。
キツかったですね・・・。
人間にもともと備わっている明と暗の部分、
その対比をさらけ出しているような物語なんですけど、
結局、
どちらも人間なんだなと・・・。
底知れない悪意を標準装備している人間。
偏見を持たず見た目にとらわれない人間。
(でも、そこに何もありませんか?、視覚からの情報に惑わされませんか?)
善と悪に人間が別れているわけではなくて、
人間そのものの中に善と悪が同居しているだけ・・・というイヤな部分を突きつけられた感じですね。
私は自信がありません。
ジョン・メリックを前にして、
何にも惑わされずに会話を続けることが出来るのか、
視覚から得られる情報は一切関係無い、そんな風に内面だけを見続けることが出来るのか?
私には答えられません・・・。
キツくてズシリと重く、その上で、
私は偏見を持っていない、外見で人を判断しない、そう思い込みたくなるけど、
「一切の悪意を持っておりません」、
なんて人間は皆無だし、私もその1人と自分の内面に目を向けさせられるような映画、
『エレファント・マン』。
観ておいて損の無い名作、だとは思います。
けど、
面白いからオススメ、
とはなりません。
映画好きで、
「観た!」という事実が欲しい方のみ、再生してみてください。
実話(ジョゼフ・メリックの半生)
ジョゼフ・ケアリー・メリック(1862年8月5日〜1890年4月11日)は、
ヴィクトリア朝時代のイギリスに実在した人物です。
映画『エレファント・マン』では、
ファーストネームを「ジョン」に改変されています。
そして、
『エレファント・マン』はジョゼフが生きた半生の実話を、
脚色して描かれている作品です。
1862年8月5日、イングランド・レスターで、
父ジョゼフ・ロックリー・メリック、
母メアリー・ジェインの子として生まれる。
(母のメアリーも身体に障害を有していた)
(弟2人、妹1人も誕生・・・その後、次男と三男は若くして他界)
✔︎
生まれつき・・・
出生時、生まれたばかりのジョゼフ・メリックには身体に何の異常も認められず、
生後21ヶ月頃に最初の病変が。
(生まれつき・・・という言葉をどのように解釈して良いのか微妙ですけど、彼の身体に病変が現れ始めたのは生後21ヶ月が経った後です)
✔︎
若き日
ジョゼフ・メリックは12歳で公立学校を卒業、就職もしていたが、
容姿が災いし長続きせず、
症状の進行もあって1879年12月、
17歳でレスター救貧院に入った。
(レスター・ユニオン救貧院は、1838年、貧困者を収容する目的で設立された施設です)
✔︎
「エレファント・マン」の誕生、見世物小屋へ
救貧院での生活に甘んじていたメリックだったが、1884年、
22歳の時に奇形者を出演させる興行師兼コメディアンのサム・トーの存在を知り、
自らの身の上を手紙で送ったところ、
トーはメリックと面会して彼を見世物興行の世界に入れることを決め、
これに伴いメリックはこの年の8月にレスター救貧院を退所。
「半人半象のエレファント・マン」のキャッチフレーズが考案された。
(映画では奴隷のように扱われていたメリックですが、実際は、自らの意志で飛び込んだ可能性を否定できません。何とか働いて、何とか生活していこう、後ろ向きな考え方ではなかった気がしますね)
✔︎
医師トレヴェスとの出会い
1884年11月、ロンドン・ホワイトチャペル・ロードの見世物小屋で興行中、
ロンドン病院の外科医であったフレデリック・トレヴェスはメリックの存在を知り、
自ら診察。
病理学会でメリックの症例を報告し、写真を用いた研究発表をしている。
(「皮膚弛緩症および神経腫性象皮病」と診断されたらしいです)
✔︎
見世物小屋の閉鎖、流転の月日
この頃より、見世物小屋を公序良俗に反するものとして排斥する風潮が強まり、
メリックが出演する小屋も閉鎖。
メリックの興行会社も他の興行師に売却され、ロンドンを離れてヨーロッパを巡演する生活に。
しかし、
ベルギーにいる頃にメリックは解雇され、貯えを横取りされたのち、
わずかな身の回りの品を質に入れて旅費を捻出。
フレデリック・トレヴェスに保護を要請するために、厳しい道のりを鉄道を利用して再びロンドンへ。
(メリックが唯一頼れる存在だったトレヴェス、映画同様に本当の友人だったんでしょうね)
✔︎
平穏な日々
ロンドン病院理事長フランシス・カー・ゴムらの働きかけにより、
多額の寄付金を集めることに成功。
ロンドン病院、「ヘッドステッド・スクエア」と呼ばれていた中庭に面した大小2つの地下室がメリックの住居として改装され、
ベッドやテーブル、数脚の椅子、小さな暖炉、浴室なども設置された。
(トレヴェスの方針により、どちらの部屋にも鏡は一切設置されなかったようです)
✔︎
徐々に心を開いていく
病院収容当初、メリックは身辺に近づこうとする者に疑いの目を向け、
苛立って震えだすこともあった。看護婦が差し伸べてくる手も怖がったり、落ち着かない様子が目立ったが、
トレヴェスをはじめとする周囲の人々が、彼の聞き取りにくい言葉に慣れ始め、
理解するようになると、メリックの態度も次第に穏やかなものに。
(トレヴェスはこの頃、メリックと会話を重ね、彼が知的に問題ないことを知ったようです)
✔︎
人々との交流
トレヴェスの知り合いMrs.Lelia Marturinとの短い面会に感動したメリックは、
徐々に他人との交流を求めていった。
そして、
上流階級の人々の関心を惹く存在だったメリックのもとに、面会希望が相次いで寄せられるようになった。
人々は骨董品や絵画、自分たちのサイン入りの写真などといったプレゼントを持参したが、
読書家であったメリックは特に本を贈られることを喜んでいた。
(メリックと看護婦達で作ったボール紙製のマインツ大聖堂の模型は、マッジ・ケンドールという女優にプレゼントしたらしいです)
✔︎
突然の死
1890年4月11日、
すでにかなりの衰弱をみせていたジョゼフ・メリックは、
午後3時を過ぎた頃に、ベッドで仰向けに寝た状態で亡くなっていたのを発見される。
享年27歳。
一説には、仰向けに寝ることを試みた際の事故、
または自殺説も取り沙汰されていたが、
ディスカバリーチャンネルが2011年に製作した「蘇るエレファントマン」の中で、
メリックの骨格標本を詳細に検査、
頚椎の損傷具合から彼独特の就寝方法を取ろうとした際に、頚椎が脱臼し、絶命。
事故と結論付け、自殺説を否定している。
(このページを読み進めても、映画を視聴しても、自殺だとは思えません)
かなり端折った半生を書きましたので、
細かな情報を知りたい方は、wikiのページを参照してください。
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最後に
『エレファント・マン』を久しぶりに視聴したので、
記事にさせていただきました。
自分が持っていた記憶よりも、かなりキツかったという印象ですね。
若い時に視聴した時は多分、
そこまで物語に没頭せずに何となくだったんでしょうけど、
歳を重ねた今、『エレファント・マン』に触れてみると、
強烈な印象を残す映画だったと改めて記憶に刷り込まれた感じです。
視聴を強くオススメする映画ではありませんが、
まだ視聴したことがない映画好きの方、
視聴したけど記憶が曖昧になっている方ならもう1度だけ、
触れてみても良い名作、だったのではないかと。
ではまた。